前回
過去を振り返ることで今の自分を見直すシリーズです。
前回、小学校中高年あたりなので、次は中学生…時系列で行こうと思ってましたが、
混沌としており、前回も時系列入り乱れて細かいエピソードを書きようがなくなってきたので
思うように書きます。
地元愛について。
そんなに郷土愛とか地元LOVEという意識はありません。
青春時代、自分を抑圧していた場所というイメージも伴うためでしょうか。
それでもいま現在、地元で音楽を少しでも盛り上げるために微力ながら
何かできないかな、と思って定期的にオープンマイクな参加型のイベントをやっています。
Acoustic Night 呉っていうやつです。
地元愛がないのになぜそんなことをするのか?という事に今回の話はつながってくると思います。
さて、僕は呉市の出身なわけですが呉市といっても呉市中心部とそれ以外では全然違います。
いわゆる「呉市内」とそれ以外。
よその人に言う時には細かい地名いっても伝わらないので呉出身といいますが、
山一つ超えたところの町出身です。
「仁義」の人たちが一番いたと言われている辺りですかね。
小さい頃にそんな雰囲気を感じたことはないのでよく知りません。
お小遣いも、呉市内に行って帰ってきたらなくなるくらいだったので、
あまりどこかのお店に繰り出して遊ぶみたいなことは殆どしませんでした。
まぁ、そんなことよりもミニ四駆買ったりお金貯めて
ゲームやマンガを買ったりという方が優先でしたので。
ゲームやマンガの単行本集め(ドラゴンボールの背表紙を揃えたかった)
にもハマっていましたが、ミニ四駆ブームというのがあって、多分にもれずハマっていました。
アバンテjr。かっこいい。
ミニ四駆は何度かブームが起こるのですが、僕たちは第一次のころかな。
ダッシュ四駆郎とか。
ラジコンも憧れがあって毎週テレビでラジコンカーのレース番組やって、
RCカーほしい、と思ってたんですが、
予算と走らせる場所の無さに断念。
ミニ四駆は、電池駆動で走る車のプラモデルを色々改造したりして速さを競います。
片田舎の町で、今はすっかり道路になってしまって跡形もない商店街にあった小さなおもちゃ屋で
パーツを買い集めて色々改造するのが楽しみでした。
軽量化!軽い方が速いっていって、シャーシに穴を開けすぎて本体を破壊したこともあります。
ある年のクリスマスプレゼントにミニ四駆のコースをもらいました。
が、予算の都合かタミヤ純正のコースではなかったので
すぐコースアウトするとか色々不具合もあったりして。
それでもより速いクルマを作るために日々試行錯誤でした。
で、ある日ミニ四駆マンガが乗っているブームの仕掛け人コロコロコミックを
よんでいると、「全国大会」「地区予選は広島で」
…参加してみたい❗
と思いました、が
広島市までの交通費、拘束時間(親について来てもらうわけにはいかなかった)
その後もし勝ち上がったとして(まぁ勝てなかったと思いますがw)
交通宿泊などなどはどうするの?みたいな話になって諦めた気がします。
うちに金がなかっただけとも言えるのですが、
地域格差、というものを肌で感じた瞬間でもありました。
街の子どもたちは自転車とかで気軽に大会に参加できるのに…みたいな。
もちろんインターネットもない時代です。
他、ゲームがいくら上手くても、学校の成績がいくら良くてもこの町の中という
枠組みから出られないのか、という頭打ち感は感じていました。
今思えば子供なりに色々手段は取れたと思うんですけどね。
天井の高さを知ってしまった蛙は天井がなくてもそれ以上の高さには飛べない、
という実験を彷彿とさせます。
(なんかの本で読んだけどみつかりません。なんだっけこれ)
いろんな理由で「これ以上は自分が頑張ったとしても無理だ」
という気持ちになっていたと思います。
たぶん、すごい才能や能力を秘めている人は至るところにいて
一緒に音楽やってても凹まさせれるような人がひょい、と出てきて、全然プロではない
音楽と関係ない仕事をやっていたりする。
別に能力があるからといって、それを仕事にする義務はないのですが
もっと挑戦したい、知りたい、という意欲があるのに地理的経済的理由で
挑戦すらできない、という人が多数いるということ。
ネットがある現在、ネット以前の僕の子供時代よりは可能性は開かれていますが
それでも情報の格差、そして「意識の格差」
(最近はググって得られる情報の精度もさがりましたけど)
いまだに「上京しないと」「○○の本場で勉強しないと」という現地志向を耳にします。
まぁ人が集まるところには才能もあつまるし、仕事のスピード感も違うでしょう。
それは否めない事実なんですが、
でも、今の時代の流れで、そうでない可能性を見てみたい、見れるはずだと思っていて
・マイナーな田舎町にすごいミニ四駆仙人がいる、とか
・アメリカでよくあるブルースの街(近所のおっちゃんがめちゃくちゃすごいブルースマン)
観光資源ではなくブルースを演奏する人たちという音楽そのものが人を集める
とかとか…
普段はさえない近所のあの人が実はある分野ではすごい世界レベルの人だった
みたいな事を目の当たりにした子供の意識的な限界はかなり高くなると思うんです。
欧米にいって学んでこなくては、、、みたいな明治時代の頃と意識が変わらなければ。
イチローが野球教室に来て教えてくれた、とか1回限りそういうのだけでも
自分の限界値が変わるのを実感できるので、
いつもそういう人が近くにいるとなるとその効果は計り知れません。
※例えです(僕は野球できません)
そういう意味では「芸能一家」みたいなのは、才能や遺伝の要素より、環境の方が強いのかなと思います。
…僕は親戚がマラソンオリンピック選手でしたが僕は長距離走全然得意になりませんでしたけどね。
(体質、やる気の問題)
でも、努力のやり方次第では世界に挑戦できるようになるんだ、
という意識の上ではとても影響受けてます。
まぁそんなわけで、地元愛、郷土愛というより、
そのへんのおっちゃんが最強ブルースマン(うようよいる)状態を作ってみたい。
ですね。
自分もまだまだ色々詰めが甘いですが、隠れ最強キャラになれるよう頑張ります。
過去を振り返ることで今の自分を見直すシリーズです。
前回、小学校中高年あたりなので、次は中学生…時系列で行こうと思ってましたが、
混沌としており、前回も時系列入り乱れて細かいエピソードを書きようがなくなってきたので
思うように書きます。
地元愛について。
そんなに郷土愛とか地元LOVEという意識はありません。
青春時代、自分を抑圧していた場所というイメージも伴うためでしょうか。
それでもいま現在、地元で音楽を少しでも盛り上げるために微力ながら
何かできないかな、と思って定期的にオープンマイクな参加型のイベントをやっています。
Acoustic Night 呉っていうやつです。
地元愛がないのになぜそんなことをするのか?という事に今回の話はつながってくると思います。
さて、僕は呉市の出身なわけですが呉市といっても呉市中心部とそれ以外では全然違います。
いわゆる「呉市内」とそれ以外。
よその人に言う時には細かい地名いっても伝わらないので呉出身といいますが、
山一つ超えたところの町出身です。
「仁義」の人たちが一番いたと言われている辺りですかね。
小さい頃にそんな雰囲気を感じたことはないのでよく知りません。
お小遣いも、呉市内に行って帰ってきたらなくなるくらいだったので、
あまりどこかのお店に繰り出して遊ぶみたいなことは殆どしませんでした。
まぁ、そんなことよりもミニ四駆買ったりお金貯めて
ゲームやマンガを買ったりという方が優先でしたので。
ゲームやマンガの単行本集め(ドラゴンボールの背表紙を揃えたかった)
にもハマっていましたが、ミニ四駆ブームというのがあって、多分にもれずハマっていました。
アバンテjr。かっこいい。
ミニ四駆は何度かブームが起こるのですが、僕たちは第一次のころかな。
ダッシュ四駆郎とか。
ラジコンも憧れがあって毎週テレビでラジコンカーのレース番組やって、
RCカーほしい、と思ってたんですが、
予算と走らせる場所の無さに断念。
ミニ四駆は、電池駆動で走る車のプラモデルを色々改造したりして速さを競います。
片田舎の町で、今はすっかり道路になってしまって跡形もない商店街にあった小さなおもちゃ屋で
パーツを買い集めて色々改造するのが楽しみでした。
軽量化!軽い方が速いっていって、シャーシに穴を開けすぎて本体を破壊したこともあります。
ある年のクリスマスプレゼントにミニ四駆のコースをもらいました。
が、予算の都合かタミヤ純正のコースではなかったので
すぐコースアウトするとか色々不具合もあったりして。
それでもより速いクルマを作るために日々試行錯誤でした。
で、ある日ミニ四駆マンガが乗っているブームの仕掛け人コロコロコミックを
よんでいると、「全国大会」「地区予選は広島で」
…参加してみたい❗
と思いました、が
広島市までの交通費、拘束時間(親について来てもらうわけにはいかなかった)
その後もし勝ち上がったとして(まぁ勝てなかったと思いますがw)
交通宿泊などなどはどうするの?みたいな話になって諦めた気がします。
うちに金がなかっただけとも言えるのですが、
地域格差、というものを肌で感じた瞬間でもありました。
街の子どもたちは自転車とかで気軽に大会に参加できるのに…みたいな。
もちろんインターネットもない時代です。
他、ゲームがいくら上手くても、学校の成績がいくら良くてもこの町の中という
枠組みから出られないのか、という頭打ち感は感じていました。
今思えば子供なりに色々手段は取れたと思うんですけどね。
天井の高さを知ってしまった蛙は天井がなくてもそれ以上の高さには飛べない、
という実験を彷彿とさせます。
(なんかの本で読んだけどみつかりません。なんだっけこれ)
いろんな理由で「これ以上は自分が頑張ったとしても無理だ」
という気持ちになっていたと思います。
たぶん、すごい才能や能力を秘めている人は至るところにいて
一緒に音楽やってても凹まさせれるような人がひょい、と出てきて、全然プロではない
音楽と関係ない仕事をやっていたりする。
別に能力があるからといって、それを仕事にする義務はないのですが
もっと挑戦したい、知りたい、という意欲があるのに地理的経済的理由で
挑戦すらできない、という人が多数いるということ。
ネットがある現在、ネット以前の僕の子供時代よりは可能性は開かれていますが
それでも情報の格差、そして「意識の格差」
(最近はググって得られる情報の精度もさがりましたけど)
いまだに「上京しないと」「○○の本場で勉強しないと」という現地志向を耳にします。
まぁ人が集まるところには才能もあつまるし、仕事のスピード感も違うでしょう。
それは否めない事実なんですが、
でも、今の時代の流れで、そうでない可能性を見てみたい、見れるはずだと思っていて
・マイナーな田舎町にすごいミニ四駆仙人がいる、とか
・アメリカでよくあるブルースの街(近所のおっちゃんがめちゃくちゃすごいブルースマン)
観光資源ではなくブルースを演奏する人たちという音楽そのものが人を集める
とかとか…
普段はさえない近所のあの人が実はある分野ではすごい世界レベルの人だった
みたいな事を目の当たりにした子供の意識的な限界はかなり高くなると思うんです。
欧米にいって学んでこなくては、、、みたいな明治時代の頃と意識が変わらなければ。
イチローが野球教室に来て教えてくれた、とか1回限りそういうのだけでも
自分の限界値が変わるのを実感できるので、
いつもそういう人が近くにいるとなるとその効果は計り知れません。
※例えです(僕は野球できません)
そういう意味では「芸能一家」みたいなのは、才能や遺伝の要素より、環境の方が強いのかなと思います。
…僕は親戚がマラソンオリンピック選手でしたが僕は長距離走全然得意になりませんでしたけどね。
(体質、やる気の問題)
でも、努力のやり方次第では世界に挑戦できるようになるんだ、
という意識の上ではとても影響受けてます。
まぁそんなわけで、地元愛、郷土愛というより、
そのへんのおっちゃんが最強ブルースマン(うようよいる)状態を作ってみたい。
ですね。
自分もまだまだ色々詰めが甘いですが、隠れ最強キャラになれるよう頑張ります。
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