前回の記事は
ゲームとの馴れ初め的な話でした… 

今回、小学校中盤くらい。病気の話とちょっとずつ芽生える自意識、そしてゲームの話です。
話がとっちらかって読みにくいかもしれません。

小学校の間はひたすら遊んでいたような記憶しかありません。
勉強で苦労したという意識が全く無い(申し訳ない)
当時の宿題の日記も毎日ほぼ同じ文面…
同じすぎて書くことがなかったのです。

3年生のとき、後述のとある理由で1週間ほど検査入院して、
その間もちろん全く授業受けなかったんですけど
退院してすぐ直後のテストで90点くらい取れたりして周りにびっくりされたり。

Unknown
そのころハマった、バーコードバトラー。
バーコードを見るだけである程度強いかどうか分かるようになってました
(法則があったので。もう忘れた)

相変わらず体は丈夫ではなく、体育は得意ではありませんでした。
甘いものが好きで虫歯が多かったとか、ゲームが好きであまり外に出なかった
というのも理由かもしれませんが、小学校入学と時を同じく、とある疾患が判明。

慢性腎炎というやつです。
健康診断で尿検査があるのですが、それにタンパク尿で引っかかって。

ただ、将棋の村山聖さんのようなネフローゼみたいな重篤なやつではなく、
軽いやつだったみたいです。
のちに病名が診断されて IgA腎症という名前が付きました。
確実な治療法はなく、なんとなく処方された薬を飲む日々でした。

とにかく、当時の診断によると正常な人よりも何割か腎機能が弱いみたいです。
症状としては、疲れやすい、疲れが取れにくい、むくみ、、などなど。
疲れやすいかどうかなんて他の人と比較できるものではないので、
いまいち実感がわきませんでしたが、
体調のバランスを崩すとどどっと崩れるという印象がありました。

このことはその後の学生生活、進学、就職にも
大きく影響が出てくることになります。
ちょっと無茶すると、最低2日くらい体調悪くしてたので
若い頃は無茶しても元気じゃった、という話は決してできません。

IMG_0231
手元に当時の写真が無いので木版画でも貼っときます。
入賞して美術館に飾られました。

今現在、自分の状態がどうなのかわかりません。
小学校の頃は毎週通院して検査してましたが、
成人するころに経過観察を言い渡されて、あとからはもう任意というか自由…
が、会社の尿検査とかではやっぱり引っかかり続けました。
確固たる治療法が無いのでどうしようもないので放置してます。
見る方が見たら怒られそうですが、
当時の診断では自然に快癒するか、重くなるかどちらかだそうで。

自分の感覚としては、子供の頃よりは健康を感じています。
が、バランスを崩した時の脆さも実感しています。

検査のため、毎週、授業を早退して病院に行ってました。
体育は激しい運動が含まれる時は見学。

そんな感じで、周りのみんなと同じ授業が受けられない。
「がんばってねー」みたいな感じで早退する時は送り出される。
非常にもどかしかった。

「疲れやすい」という一点を覗いては全く普通なのに。
さも重病のように扱われる自分。
なんとなく、このころから、「自分と周りとの距離感」を感じ始めていました。

疾患のせいで必要以上に大事なものを扱うように接してくる同級生。
成績がやたら良かったせいで「ガリ勉だ」「あいつは俺達とは違う」という空気。
(実際学校の勉強以上のことはほとんどせず毎日ゲーム3時間超とかしてたので、
なにいってんだこいつら、と思ってましたが)

大切に扱ってくれるのも純粋な「優しさ」だったのかもしれませんが、
もっと、みんなと同じように馬鹿なことを言い合ったりして笑っていたかったなぁ、と。
「体弱い、真面目」というカテゴリに入れられてしまってもともとのシャイな性格もプラスして
なんとなく、孤独感を感じて始めていました。
「普通がいい」とはなんとなく思うものの、一体普通ってなんなのか…みたいな。

時々、自分や周囲によって作られたバリアを意図してかせずか
突破してやってくる人、
またはなぜか自分がそれを意識しなくても良い人がいるのですが、
そういう人とはたいてい仲良くなれました。

自分なりに、本当の優しさ、友達ってなんなんだろう、
ということをいつも考えてました。
当人の気持ちを汲まず、自分の善意を押し付けるのは優しさではないよね。
とこういう言葉ではないにしろなんとなく感じていました。

毎日一緒に遊んでワイワイしてても、
本当の所はなかなか理解し合えないんだなと
いうことを考えてたような気がします。

ここでパリピへの道は閉ざされたわけです。

誰かには簡単にできることが自分にはとても難しい。(その逆も然り)
この考え方の傾向は今にもひきづってるとおもいますが…

さて、病気の話はさておき、基本的にはインドアまっしぐらなので、
上述のバーコードバトラーのデータ分析とか
ドラクエ3のレベル上げとかに精を出していました。
…あまり沢山のゲームを買ってもらえないので少数のゲームをやり込む方向に進んだわけです。

音楽的な要素は…
ゲーム音楽、というのを意識し始めたのもこの頃です。
ドラクエ4で出てくる、武器商人トルネコという主役キャラの一人のテーマ曲を、
学校で習い始めたリコーダーで耳コピして吹いてました。(が、#が出てくるところまでで断念(笑))
もう一つの大作RPGのファイナルファンタジーの最初の作品(当時は3が出た辺りですが)
の最後のダンジョンのBGMが好きでゲームを止めて延々と流しながらうたた寝したり。
酒のんでゲームして寝落ちしている父の横で流れ続けるウィザードリィのタイトルBGM。
2人の姉と三人で「ボルタック商店」の曲を覚えて歌ってました。
ひたすら強いキャラを作るために「くんれんじょう」に行ってキャラ作成を繰り返すのですが、
そこのBGMも覚えてしまいました。
当時ウィザードリィは自分には難しすぎてほとんど遊べなかったですが、
音楽はとても印象に残ってます。


カオス神殿。。。いいですね。

楽器や音楽は好きだったんですが、自分で演奏する、というところまでは行きません。
歌うのはあまり好きではなかったのです
姉のエレクトーン練習を聴いて、和音を掴むのが割と意識せずできたので、
桃太郎電鉄か何かで出てくる歌(のハモリパート)を口ずさんでいたら、
姉に下手くそーと笑われたのがショックで、それ以来歌うのはやめとこう…となりました。

ギターを始めてからも、歌いたい気持ちは出てきたものの、自信がもてず
あまり積極的に歌うということはしなかったと思います。
部屋でこっそり他の人に聴こえないように歌ってました。

触っていた楽器はリコーダーと、時々忍び込んで弾いたエレクトーンくらいです。
(教則本にドラクエの曲が!と発見してしまったのでなぞってました)

年代的には1989〜1991,2が小学校中学年あたりですが、
ゲームにハマりすぎて当時のヒット曲は何聴いたのか何があったのか覚えてません。
夕方のZガンダム、ZZガンダムのアニメ再放送くらいしか覚えてません。
森口博子ってタレントじゃなくて本当は歌手だったんですね!っていう。

FC時代よく遊んだゲームの音楽なら効果音付きで頭の中で再生できます。

次回は、それまで溜め込んだものが決壊し始める瞬間、
音楽やギターとの出会いについて
になると思います。
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