幼少の頃… 人によってははっきり様々なエピソードを覚えていて、
それを聴くたびに驚かされるのだけど、自分の場合はどうかな…

断片的な記憶を頼りに芋づる式にエピソードをすくい上げてみることにする。

1981年(昭和56年)、広島県呉市にて生まれる。
姉2人の3人兄弟の末っ子長男。

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2歳くらい?の写真。
女の子によく間違えられてたらしい

父は型枠大工の仕事をしていた。
最も、小さい頃は大工と言うと鉢巻を頭に巻いた棟梁、親方で
木造建築を1から10まで作り上げる
みたいなイメージでしかなかったけど、
近代建築(ジャンル分けはよくわかりませんがビルとか大型の建物)では
・基礎工事 
・鉄筋、鉄骨
・型枠
・内装
・電気
etc. と工程ごとに専門の業者が分かれているということで、型枠ってのは
鉄骨とかで骨組を作ったあとに最後にコンクリートを流すための枠を作る仕事、
ということです。
骨に対しての肉付けですね。結構重要。
あとから建物がひび割れたりなんだ、というのはこの仕事が良くないということらしい。
体育館とか、デパートとか大きな建物に行くとよく上を眺めて
その建物の仕事っぷりがいいか悪いか言っていた。
「この建物は手抜きじゃのー」とか「納期急かされたんじゃ」とか。

ユニコーンの「ブルース」という曲のエピソードともよく似ているけど、
「あの安浦のプール(よく夏休みに遊びに行ってた)はワシが作った」
「あのお寺は、あのビルはワシが建てた」
などという話を聴くたびにスゲーと思ってました。

※ユニコーンはドラマー川西さんの先輩が「あのトンネルはワシが作った」
と言ってただったか。。。

とても繊細で若い頃、辛いことが会った時は家で
バッハのレコードを爆音で流して一人泣いていたらしい。
音楽は好きだったみたいです。近年では姉に教えてもらったX JAPANを爆音で流してました。
耳は大丈夫なのだろうか。

クラシックのレコードを多数持っていたが、何度かの引っ越しやらのゴタゴタで紛失。
今は3,4枚実家に残っているくらいかな。
「エリーゼのために」のレコードが針飛びしてループするのが面白くて
ひたすら回していた記憶があります。

基本、仕事は建築現場なので、残業もほぼなく、
毎日夕方には汗と油の匂いをさせて帰ってきてました。
雨の日は自宅で図面、と電卓とにらめっこして色々と計算してました。
あとはゲーマーでした笑
野球中継よりもゲーム!

というわけで、算数と音楽とゲーム、工作が好きなのは父の影響であろう。

繊細ゆえか?…酒、タバコ、パチンコ、釣りが好きで母は苦労したと思います。
というわけで、自分自身、酒タバコギャンブルは敬遠しているのは父の影響であろう…

母は自分が小さい頃は仕事をしておらず、家にいましたが、
曾祖母が洋裁着物を縫う仕事をしており、けっこう有名な人も家に訪れて服の直しを頼んだり、
ということがあったそうです。
(自分が生まれた頃はもうやっていなかったので詳細はよく知らない)
山本浩二さんが家に仕事を頼みに来たこともあるそうです。

そのころは羽振りがよかったのか、なぜか祖母の家の廊下の下に池があって鯉が泳いでました。
小さい頃はパンの耳をよく餌やりしたり鯉を眺めたりしてました。
自分でも服を作ったり直したり、というのでよくミシンの作業を見ていました。

学生時代は学校サボってジュリーのコンサートを見に行ったこともあるらしいです。
僕の初めてのギターはその辺りのブームの時に買って(すぐ飽きた)放置されていたガットギターでした。
また、海外のペンフレンドと文通していたらしく、その形跡のエアメールを引っ越しの際に見つけたことがあります。

英語が割と得意だったこと、楽器を始めるきっかけなどは母の影響であろう。
尺八を始めた際に母のツテで先生を紹介してもらったり、
全く自分では何も出来なかった時代、色々助けてもらってます。

二人共健在であるし、ブログを見る可能性もあるので下手なことはかけませんが(笑)
とにかく優しかったですね。末っ子で甘やかされていたというのもありますが。

二人共音楽が好きだったのか、エレクトーンを姉2人に習わせてました。
僕も習いたかったんですが予算の都合でカットされました。
ので、ひたすら姉の練習する音を聴く毎日。
YMOなど知る由もなかったのですが、課題曲に「ライディーン」があるので
ひたすら練習していたのを聴いてメロディとベースラインを覚えてしまいました。

実はコード感とかそういうのもこの頃に基礎が身についていたりして(しらんけど)
寝っ転がってるとエレクトーンのベースの音が床や畳を伝ってよく響くんですよね。

自分も弾きたくなったが、勝手に弾くことを許されてなかったので
姉が不在の時にこっそり部屋に忍び込んで弾いて音を出して遊んでました。

出かける時は父の車のカセットデッキからは
サイモン&ガーファンクルみたいなのが流れてました。
「The Boxer」かな。
ライラライ・・ドーン❗というので兄弟3人で真似して笑っていたと思います。

こう思えば、楽器を弾くこと、音楽を聴くことが割と当たり前に日常にあったんだな、
と思います。
ただ、簡単に習わせてもらえなかったので、
楽器を自分で操りたい欲もどんどんたまっていったんでしょう。

いかに自分が生まれた環境から影響を受けているか、というのが垣間見えてきました。
他人事のようですが、こうして書いているうちに
改めてそう思ってくるので面白いですね。

両親のエピソードで枠をとってしまったので自分の話は次回。
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