なんであのときあんなことしたんだろうな〜
という思い出が誰しもあると思います。

高校生の頃の話。
中学でギターに目覚めた私は迷うことなく(多分)
高校の選択授業に音楽を選びました。

色々自意識をこじらせていたので
女子ばかりの吹奏楽部に入る勇気はありませんでした。

軽音部は入ってみたものの、形のみでほとんど活動はなく…
部の先輩や、バンドをやってるちょっとヤンチャな方達とも仲良くなれず
音楽的に色々フラストレーションを
抱えつつ家でギターの練習をする毎日でした。

で、2年か3年か忘れましたが、グループに分かれて合唱の発表をする
という時があって、確か3つのグループに分かれました。
しかし、なぜかピアノがちゃんと弾ける人が
クラスに二人しかいなかったのです。 

で僕はピアノが弾ける人がいないグループに。

で、どうしたかというと

…伴奏役に立候補しました。 
準備期間は1ヶ月か1ヶ月半だったと思います。

サウンド・オブ・ミュージックの
「すべての山に登れ」という曲の合唱でした。

その時点ではもちろんその曲ほとんど弾けません。
ピアノの経験はほぼなし。
家にエレクトーンがあって時々触ってはいましたが
ポロポロと好きなメロディとかゲームの曲を弾いて遊ぶ程度でした。

で楽譜を持って帰って家のエレクトーンで練習していましたが…
(音が足りない)

左手の音域が1オクターブ半位足りないし…
鍵盤も軽いし、色々不安要素はありましたが。

引き受けた以上、やらんとイカン!ということで
毎日1時間以上は練習したと思います。
音の足りないエレクトーンで。
移動の練習はオクターブを変えたり、あとはイメージで(笑)
昼休憩に他の生徒がいないときを見計らって音楽室で練習してみたり…
したかどうかは記憶に無いですが(音楽室のギターをもってダラダラしてた記憶はある)

もう、途中の記憶がないのですが、
どうにかこうにか本番に間に合わせたような気がします。

しかし、なんであんな無謀なことしたんだろうな〜
と、思いつつも今でも似たようなことをやり続けていることに気づく。

書きながら思ったのは、とにかく音楽に飢えていたんだろうな、と。
自分のバンドを組むことすらままならず(活動してなかったわけではないですが)
それなら一人で全部やってやる!
と思っていたのかもしれません。

あとは自分を追い込んだらピアノ上達するかな…とか。
あの子が振り向いてくれるかな、とかいうのも少しあったのかな。
もう忘れた。本番で何をどう演奏したのかすら忘れた。
数年前に楽譜を発見して弾いてみようとしたけどすっかり忘れて弾けなくなっているし。

ほかのグループのピアノ伴奏の子が最後の余韻(ペダル)をブツッと切ってしまって
残念だったのでそこだけはしっかり余韻を伸ばそう、と思ってそこだけはうまくいった
記憶があります。

覚えているのは、発表後に、いつもクールな雰囲気の女子が
「良かったじゃん」的なことを言って褒めてくれたことだけです。

思春期をこじらせて、あまり人とうまく話せずにいた
当時の私には天の声のようでした。
恥ずかしくてリアクションしなかったと思うけど
あぁ、頑張ってよかった。
その一言で救われた。

、という思い出話でした。


 
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