ギタリスト/尺八奏者 オガタマモルのブログ

広島を拠点に活動するギタリスト/尺八奏者のブログです。
ウェブサイト http://marumogata.weebly.com

2020年06月

前回の記事は
ゲームとの馴れ初め的な話でした… 

今回、小学校中盤くらい。病気の話とちょっとずつ芽生える自意識、そしてゲームの話です。
話がとっちらかって読みにくいかもしれません。

小学校の間はひたすら遊んでいたような記憶しかありません。
勉強で苦労したという意識が全く無い(申し訳ない)
当時の宿題の日記も毎日ほぼ同じ文面…
同じすぎて書くことがなかったのです。

3年生のとき、後述のとある理由で1週間ほど検査入院して、
その間もちろん全く授業受けなかったんですけど
退院してすぐ直後のテストで90点くらい取れたりして周りにびっくりされたり。

Unknown
そのころハマった、バーコードバトラー。
バーコードを見るだけである程度強いかどうか分かるようになってました
(法則があったので。もう忘れた)

相変わらず体は丈夫ではなく、体育は得意ではありませんでした。
甘いものが好きで虫歯が多かったとか、ゲームが好きであまり外に出なかった
というのも理由かもしれませんが、小学校入学と時を同じく、とある疾患が判明。

慢性腎炎というやつです。
健康診断で尿検査があるのですが、それにタンパク尿で引っかかって。

ただ、将棋の村山聖さんのようなネフローゼみたいな重篤なやつではなく、
軽いやつだったみたいです。
のちに病名が診断されて IgA腎症という名前が付きました。
確実な治療法はなく、なんとなく処方された薬を飲む日々でした。

とにかく、当時の診断によると正常な人よりも何割か腎機能が弱いみたいです。
症状としては、疲れやすい、疲れが取れにくい、むくみ、、などなど。
疲れやすいかどうかなんて他の人と比較できるものではないので、
いまいち実感がわきませんでしたが、
体調のバランスを崩すとどどっと崩れるという印象がありました。

このことはその後の学生生活、進学、就職にも
大きく影響が出てくることになります。
ちょっと無茶すると、最低2日くらい体調悪くしてたので
若い頃は無茶しても元気じゃった、という話は決してできません。

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手元に当時の写真が無いので木版画でも貼っときます。
入賞して美術館に飾られました。

今現在、自分の状態がどうなのかわかりません。
小学校の頃は毎週通院して検査してましたが、
成人するころに経過観察を言い渡されて、あとからはもう任意というか自由…
が、会社の尿検査とかではやっぱり引っかかり続けました。
確固たる治療法が無いのでどうしようもないので放置してます。
見る方が見たら怒られそうですが、
当時の診断では自然に快癒するか、重くなるかどちらかだそうで。

自分の感覚としては、子供の頃よりは健康を感じています。
が、バランスを崩した時の脆さも実感しています。

検査のため、毎週、授業を早退して病院に行ってました。
体育は激しい運動が含まれる時は見学。

そんな感じで、周りのみんなと同じ授業が受けられない。
「がんばってねー」みたいな感じで早退する時は送り出される。
非常にもどかしかった。

「疲れやすい」という一点を覗いては全く普通なのに。
さも重病のように扱われる自分。
なんとなく、このころから、「自分と周りとの距離感」を感じ始めていました。

疾患のせいで必要以上に大事なものを扱うように接してくる同級生。
成績がやたら良かったせいで「ガリ勉だ」「あいつは俺達とは違う」という空気。
(実際学校の勉強以上のことはほとんどせず毎日ゲーム3時間超とかしてたので、
なにいってんだこいつら、と思ってましたが)

大切に扱ってくれるのも純粋な「優しさ」だったのかもしれませんが、
もっと、みんなと同じように馬鹿なことを言い合ったりして笑っていたかったなぁ、と。
「体弱い、真面目」というカテゴリに入れられてしまってもともとのシャイな性格もプラスして
なんとなく、孤独感を感じて始めていました。
「普通がいい」とはなんとなく思うものの、一体普通ってなんなのか…みたいな。

時々、自分や周囲によって作られたバリアを意図してかせずか
突破してやってくる人、
またはなぜか自分がそれを意識しなくても良い人がいるのですが、
そういう人とはたいてい仲良くなれました。

自分なりに、本当の優しさ、友達ってなんなんだろう、
ということをいつも考えてました。
当人の気持ちを汲まず、自分の善意を押し付けるのは優しさではないよね。
とこういう言葉ではないにしろなんとなく感じていました。

毎日一緒に遊んでワイワイしてても、
本当の所はなかなか理解し合えないんだなと
いうことを考えてたような気がします。

ここでパリピへの道は閉ざされたわけです。

誰かには簡単にできることが自分にはとても難しい。(その逆も然り)
この考え方の傾向は今にもひきづってるとおもいますが…

さて、病気の話はさておき、基本的にはインドアまっしぐらなので、
上述のバーコードバトラーのデータ分析とか
ドラクエ3のレベル上げとかに精を出していました。
…あまり沢山のゲームを買ってもらえないので少数のゲームをやり込む方向に進んだわけです。

音楽的な要素は…
ゲーム音楽、というのを意識し始めたのもこの頃です。
ドラクエ4で出てくる、武器商人トルネコという主役キャラの一人のテーマ曲を、
学校で習い始めたリコーダーで耳コピして吹いてました。(が、#が出てくるところまでで断念(笑))
もう一つの大作RPGのファイナルファンタジーの最初の作品(当時は3が出た辺りですが)
の最後のダンジョンのBGMが好きでゲームを止めて延々と流しながらうたた寝したり。
酒のんでゲームして寝落ちしている父の横で流れ続けるウィザードリィのタイトルBGM。
2人の姉と三人で「ボルタック商店」の曲を覚えて歌ってました。
ひたすら強いキャラを作るために「くんれんじょう」に行ってキャラ作成を繰り返すのですが、
そこのBGMも覚えてしまいました。
当時ウィザードリィは自分には難しすぎてほとんど遊べなかったですが、
音楽はとても印象に残ってます。


カオス神殿。。。いいですね。

楽器や音楽は好きだったんですが、自分で演奏する、というところまでは行きません。
歌うのはあまり好きではなかったのです
姉のエレクトーン練習を聴いて、和音を掴むのが割と意識せずできたので、
桃太郎電鉄か何かで出てくる歌(のハモリパート)を口ずさんでいたら、
姉に下手くそーと笑われたのがショックで、それ以来歌うのはやめとこう…となりました。

ギターを始めてからも、歌いたい気持ちは出てきたものの、自信がもてず
あまり積極的に歌うということはしなかったと思います。
部屋でこっそり他の人に聴こえないように歌ってました。

触っていた楽器はリコーダーと、時々忍び込んで弾いたエレクトーンくらいです。
(教則本にドラクエの曲が!と発見してしまったのでなぞってました)

年代的には1989〜1991,2が小学校中学年あたりですが、
ゲームにハマりすぎて当時のヒット曲は何聴いたのか何があったのか覚えてません。
夕方のZガンダム、ZZガンダムのアニメ再放送くらいしか覚えてません。
森口博子ってタレントじゃなくて本当は歌手だったんですね!っていう。

FC時代よく遊んだゲームの音楽なら効果音付きで頭の中で再生できます。

次回は、それまで溜め込んだものが決壊し始める瞬間、
音楽やギターとの出会いについて
になると思います。

誰得ではありますが、自分の頭の中を意識して覗いてみよう、
今の自分に繋がるものはどの辺から来ているのだろう、という考察です。

前回の記事では両親のことに触れました。

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これ、4〜5歳くらいかな。

この頃は毎日姉や近所の兄ちゃん達と遊んでおりました。
力も弱く、メンタルも弱く、すぐに泣いてばかりいました。

時々幼稚園の友達とも遊んでいたのかな、
家の近くには同級生も住んでおらず、
あまり一人では遠くに出歩けなかったのでほとんど記憶がありません。

その、何気なくよく遊んでいた隣の兄ちゃんが後に不良のリーダー的存在になってて、
僕はそれで何度か助けられた記憶があります。
そのため、あまり表面的な属性や肩書だけで人を判断しなくなったのだと思います。
あのケンカが強くて怖い人に囲まれて悪そうにしている、
兄ちゃんは僕と遊ぶ時は優しくて強い…みたいな。

そういう所があるので、何か、前提条件を勝手に決めつけたところから
盛り上がる会話に上手く参加できなくなる、というデメリットももたらしましたが。
お前はどっちの味方だ、いやどっちでもない。みたいに。

さて音楽について。

まだまだ自分で意識的に音楽を聴く、ということはしていませんでした。
音楽といえば、戦隊モノとかアニメの主題歌、ドリフとか…?
夜のヒットスタジオ的なものは家で流れていたかもしれません。
あとはっきり覚えているのが
近藤真彦の「愚か者」という曲が好きでした。

改めてちゃんと聞きましたが、硬派だなぁ…
幼稚園児には理解出来ない歌詞だなぁ。
でも、なんかこの雰囲気がかっこよかったんですよね。

あとは、もっぱら、ゲームとかなんとか…
幼稚園に上がった頃から家に入り込んできたのが、
ファミコン…の前に発売されていたMSXというパソコンのキーボードみたいなものに
カートリッジを差し込むスロットが付いたゲーム機で遊んでいました。
Unknown
MSX

ソフトはあったような気もするし、なかったような気もする。
いわゆるコントローラがなかったので、
キーボードの十字キーとかを適当に叩いて満足してました。

で、その後突如父が入手してきたのはファミリーコンピューター。
ソフトが何個かあって、「スーパーマリオブラザーズ」もその中にありましたが、
ほぼ毎日遊んでいました。
高橋名人の冒険島とかね。

基本、ゲームって一度ではクリアできないので
何度も何度も遊んで攻略法を自分で見つけていくんですよね。
今みたいに攻略サイトも無いし。

例えば兄弟と遊んでいて、自分がうまく出来なかったら順番を飛ばされたり、
道具を取り上げられたりして自由に遊べなかったのですが
ゲームの中の世界は違う。自分の気の済むまでトライ&エラーが繰り返せる。

、というわけでハマってしまいました。

幼稚園に行く前に7:30くらいに準備が終わるのですが、家を出るのが8:00過ぎ
その3-40分ほぼ日課のように遊んでいた気がします。
家から帰ってからは、遊ぶ日もあるし、外で遊ぶ日もあったりとまちまちです。
ドラクエとかウルティマとかあった気がしますが、その頃はルールがわからず
適当にキャラを動かして、何度か敵と戦って終わり。次はまた最初から…
みたいなことをしてました。

ゲームは一日1時間なんてルールは知りませんでしたね。
ゲーム以外にも「自分の頭の中の世界で誰にも邪魔されずに色々試行錯誤する」
というのがとても楽しかったんだと思います。

ゲームも繰り返しやってると、ある程度法則、動きの癖、
敵キャラの行動パターンなどが分かってくるんですが、
算数にもそれを応用?して色々問題を解いていたような気がします。

迷路とか、小学校の算数ドリルとかをどんどん解いていた、らしい。
あとは図鑑をひたすら眺めていました。
子供カラー図鑑、ってやつですね。
セールスマンに売りつけられたらしいけど、
僕にとってはいい暇つぶしの道具でした。
それを見るうちに色々細かな言葉も吸収できたのかなと思います。

「ひたすら自分の頭の中で試行錯誤をする」というのは
その後楽器を始めた時、研究&開発系の仕事をする時に活きてくることになります。

体はあまり丈夫ではなく、年に1,2回は風邪か何かで1週間ほど寝込む、
みたいなことを小学校高学年くらいまでは繰り返してました。

病弱の直接的な理由ではないとは思いますが、
これの原因と思われる、とある疾患も僕の人格形成に
大きな影響を与えていると思います。

それについてはまた次回。

幼少の頃… 人によってははっきり様々なエピソードを覚えていて、
それを聴くたびに驚かされるのだけど、自分の場合はどうかな…

断片的な記憶を頼りに芋づる式にエピソードをすくい上げてみることにする。

1981年(昭和56年)、広島県呉市にて生まれる。
姉2人の3人兄弟の末っ子長男。

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2歳くらい?の写真。
女の子によく間違えられてたらしい

父は型枠大工の仕事をしていた。
最も、小さい頃は大工と言うと鉢巻を頭に巻いた棟梁、親方で
木造建築を1から10まで作り上げる
みたいなイメージでしかなかったけど、
近代建築(ジャンル分けはよくわかりませんがビルとか大型の建物)では
・基礎工事 
・鉄筋、鉄骨
・型枠
・内装
・電気
etc. と工程ごとに専門の業者が分かれているということで、型枠ってのは
鉄骨とかで骨組を作ったあとに最後にコンクリートを流すための枠を作る仕事、
ということです。
骨に対しての肉付けですね。結構重要。
あとから建物がひび割れたりなんだ、というのはこの仕事が良くないということらしい。
体育館とか、デパートとか大きな建物に行くとよく上を眺めて
その建物の仕事っぷりがいいか悪いか言っていた。
「この建物は手抜きじゃのー」とか「納期急かされたんじゃ」とか。

ユニコーンの「ブルース」という曲のエピソードともよく似ているけど、
「あの安浦のプール(よく夏休みに遊びに行ってた)はワシが作った」
「あのお寺は、あのビルはワシが建てた」
などという話を聴くたびにスゲーと思ってました。

※ユニコーンはドラマー川西さんの先輩が「あのトンネルはワシが作った」
と言ってただったか。。。

とても繊細で若い頃、辛いことが会った時は家で
バッハのレコードを爆音で流して一人泣いていたらしい。
音楽は好きだったみたいです。近年では姉に教えてもらったX JAPANを爆音で流してました。
耳は大丈夫なのだろうか。

クラシックのレコードを多数持っていたが、何度かの引っ越しやらのゴタゴタで紛失。
今は3,4枚実家に残っているくらいかな。
「エリーゼのために」のレコードが針飛びしてループするのが面白くて
ひたすら回していた記憶があります。

基本、仕事は建築現場なので、残業もほぼなく、
毎日夕方には汗と油の匂いをさせて帰ってきてました。
雨の日は自宅で図面、と電卓とにらめっこして色々と計算してました。
あとはゲーマーでした笑
野球中継よりもゲーム!

というわけで、算数と音楽とゲーム、工作が好きなのは父の影響であろう。

繊細ゆえか?…酒、タバコ、パチンコ、釣りが好きで母は苦労したと思います。
というわけで、自分自身、酒タバコギャンブルは敬遠しているのは父の影響であろう…

母は自分が小さい頃は仕事をしておらず、家にいましたが、
曾祖母が洋裁着物を縫う仕事をしており、けっこう有名な人も家に訪れて服の直しを頼んだり、
ということがあったそうです。
(自分が生まれた頃はもうやっていなかったので詳細はよく知らない)
山本浩二さんが家に仕事を頼みに来たこともあるそうです。

そのころは羽振りがよかったのか、なぜか祖母の家の廊下の下に池があって鯉が泳いでました。
小さい頃はパンの耳をよく餌やりしたり鯉を眺めたりしてました。
自分でも服を作ったり直したり、というのでよくミシンの作業を見ていました。

学生時代は学校サボってジュリーのコンサートを見に行ったこともあるらしいです。
僕の初めてのギターはその辺りのブームの時に買って(すぐ飽きた)放置されていたガットギターでした。
また、海外のペンフレンドと文通していたらしく、その形跡のエアメールを引っ越しの際に見つけたことがあります。

英語が割と得意だったこと、楽器を始めるきっかけなどは母の影響であろう。
尺八を始めた際に母のツテで先生を紹介してもらったり、
全く自分では何も出来なかった時代、色々助けてもらってます。

二人共健在であるし、ブログを見る可能性もあるので下手なことはかけませんが(笑)
とにかく優しかったですね。末っ子で甘やかされていたというのもありますが。

二人共音楽が好きだったのか、エレクトーンを姉2人に習わせてました。
僕も習いたかったんですが予算の都合でカットされました。
ので、ひたすら姉の練習する音を聴く毎日。
YMOなど知る由もなかったのですが、課題曲に「ライディーン」があるので
ひたすら練習していたのを聴いてメロディとベースラインを覚えてしまいました。

実はコード感とかそういうのもこの頃に基礎が身についていたりして(しらんけど)
寝っ転がってるとエレクトーンのベースの音が床や畳を伝ってよく響くんですよね。

自分も弾きたくなったが、勝手に弾くことを許されてなかったので
姉が不在の時にこっそり部屋に忍び込んで弾いて音を出して遊んでました。

出かける時は父の車のカセットデッキからは
サイモン&ガーファンクルみたいなのが流れてました。
「The Boxer」かな。
ライラライ・・ドーン❗というので兄弟3人で真似して笑っていたと思います。

こう思えば、楽器を弾くこと、音楽を聴くことが割と当たり前に日常にあったんだな、
と思います。
ただ、簡単に習わせてもらえなかったので、
楽器を自分で操りたい欲もどんどんたまっていったんでしょう。

いかに自分が生まれた環境から影響を受けているか、というのが垣間見えてきました。
他人事のようですが、こうして書いているうちに
改めてそう思ってくるので面白いですね。

両親のエピソードで枠をとってしまったので自分の話は次回。

よく、飄々としている、何を考えているか分からない、しゃべらない
と言われることが多かったりするのですが、
正直、自分でもよく分かってなかったりします(笑)

冷静に構えているようにみえて今のことや
来月の支払いのことで頭がいっぱいだったり…

割とハマるとそのことばかり考えてしまう傾向があるにもかかわらず
タスクが複数になるとあれもこれもと散漫になってしまい頭がフリーズする。

色々矛盾を抱えながら生きています。

で、自己分析というか、自己紹介と言うか
小さい頃から自分は何を考えて育ったのか…というのを
書き記してみるのもありだなぁ、

と現在は経営コンサルとして頑張っている小学校からの友人Nの 
ブログを見ておもった(パクろうと)

小さい頃自分が何を考えていたのかなんて普段は考えることはないし、
ほとんど思い出せない時期があるのですが振り絞って出してみよう。

過去からの地続きで今の自分があるにもかかわらず、記憶のおぼろげな時期のせいで
なんとなく過去と現在の繋がりを自分が感じることができなかったりします。
その辺りの自分の意識のミッシングリンクというか不連続性を解消することで
自分の基盤、ルーツに対する確信が色々と持てるのではなかろうか、と。

問題は現在進行系のこと、不確定なこと
もうちょっと後で自分の地位がある程度確立してから書いたほうが説得力出るんじゃ?

とも思ったりしましたが仮にそうなったとして
人の記憶というものは都合がいいもので多分自分でも都合のいいように
色々書き換えてしまうだろう、という恐れもあるので
現在進行形のことはもやっとしたまま書くのもありかなと思いました。

ま、書いていくうちになんか出てくるだろう…と気負わずにやってみます。

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最近はビートルズ多重録音に挑戦してます。週一曲ペースで。
録音と、動画編集の練習も兼ねて。
特にコーラスワークの美しさはコピーして学ぼうと。
すごい完コピをされてる方は色々世界中にいるので他の人に任せて、
アコースティック風にやってます。

打ち込み(シンセは今後入れるかもしれない)、
リズム、ピッチ等補正等なしで頑張ってみようと。

最近のビートルズカバー

 スクリーンショット 2020-06-20 12.24.18

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