ギタリスト/尺八奏者 オガタマモルのブログ

広島を拠点に活動するギタリスト/尺八奏者のブログです。
ウェブサイト http://marumogata.weebly.com

前回

過去を振り返ることで今の自分を見直すシリーズです。

さて、
小学校高学年くらいの話です。
果たして読む人は面白いのか
どうなのかわからなくなってきましたが。

この頃はスーパーファミコンも導入。
近所にあった古本屋でドラゴンボールと大長編ドラえもんの単行本を集める日々。

ゲームに関わる仕事が出来たら面白そうだろうな、と
ぼんやり考えていました。
文集には発明家みたいなことを書いた気がしますが笑

この時期、人によっては思春期に入ってくるわけで、
身体面、精神面で色々と変化が見られます。 

自分も、これまでにない変化が出てきます。
が、周りの友達と比べて精神的にはそういう変化が
少し遅かったのでは?と思います。

毎日、冗談を言いながら一緒に帰っていた友人がある日を急に
「冷めて」しまった。同じ冗談に笑わなくなった。
みたいな些細なことではありますが、非常に戸惑った記憶があります。
まぁ、基本的には能天気というか、
自分の世界に入り込むことで理性を保っていたところはあるかもしれません。
その分周りが見えてなかったから何となく距離を置かれた、ともいえなくもない。
今思えばですね。

相変わらずゲームはやり込んでました。
・マリオカート(SFC)のタイムアタック
 -ゴーストという、前回走った自分の影と競争することによってより高タイムを狙う。
 コーナーに入る際のドリフトのタイミングなど、一切無駄のないコース取りをすることで0.1秒を攻めてました。
楽器演奏にも活きてますね。右手左手の動きのフィードバックからより良い演奏を追求!

・隠し要素は全て出す。
 普通にゲームをクリアするだけなら特に問題はないのですが、
 この頃のゲームになると製作者側が用意した、一旦ゲームをクリアしても遊べるより高難度な隠しコースや隠しアイテムなどが用意されるようになりました。
 あらゆる場所を捜索して、秘密の通路を見つけ出す。
 観察力や推理力はこれできたれられます。
 もちろんそこに至るまでの絶妙なコントローラーの操作も要求されるので
 手先の器用さもUP。

・数学力、英語力
 RPGなどで使われるアイテムや魔法などの語源を調べるようになってました。
 僕の語彙力の半分はゲームです。あと半分は多分読書(マンガ、小説とか)
   最近ドラクエのさんすうドリルなど発売されてますが、
 ゲーム内のお金やHP,MP、敵に与えるダメージの計算は基本暗算。
 とある戦車を使ってそれを改造しながらストーリーを進めるRPGがありまして
 4種類のパーツを組み合わせるとその順番によってすごく強くなったり弱くなったりする、
 というものがありました。
 凝り性だったので、自分はその組み合わせを全て調べて書き出してました。
 4×4×4×4=256通りを樹形図を作って。
 ほんと、どうでもいいですが、数個だけ超強力な武器になる組み合わせがありました。
 その数年後、数学の授業で樹形図が出てきた時は楽勝でした。

長くなった。。。

さてゲームの話はおいといて、
自分はというと、、、この頃から「ブチ切れる」ことが時々起こるようになりました。
できることならこのブチ切れるをこの時に戻って阻止したいくらい
後悔する出来事なのですが。
「キレる」というはっきり言葉がまだなく
ニュースなどでも取り上げられるようになる数年前の出来事です。

pose_sugoi_okoru_man
※写真が無いのでブチ切れるイメージ※
いらすとやでも貼っておきます。


・自習などの時間で普通に勉強していて教室がうるさいからキレる
・友達と遊んでいて、冗談でからかって来たのを、それまでは笑って流していたのが
突然笑って流せなくなり、その友達に殴りかかる…など。

突然。99℃までは普通なのに、100℃になると沸点を超えて水が蒸発するかの如く、
怒りのスイッチが入るんです。そしてすぐに収まる。
自分でも何を考えてこんな事やっているんだろう、という感じです。
当時の周囲からのイメージは真面目、おとなしい、勉強ができる、、
あとは前回にも書いた疾患の件で特別扱いされる、、など。

そういう周りからのイメージと、自分が思う自分のイメージとのギャップ、
キャラを周りから決められて自分がその枠の中から抜け出せない、という
ストレスがあったんだと思います。

キレてしまうととりあえず、後味は悪いです。
もちろん周りはドン引きです。そして自分はなぜか泣いている。

それまでニコニコしていた目の前の人が急に怒りだして叫びだし、その後泣き出したら
こいつはヤバいと思うはずです。

あとは、時々学校もサボり始めます。
仮病で早退したり、休んだり。

ますます周囲との距離を感じるようになるというか。
この現象は中学校の頃まで続きます。
それでも数少ない友達は仲良くしてくれましたけどね。

中学二年、14歳でギターを弾き始めて、その思春期のモヤモヤを
音楽の中に投じることで多少発散になったのかもしれません。
それ以降はその反動で外では自分を抑えすぎることになるのですが
まぁそれはそれで。

ゲームにせよ、楽器にせよ、
自分の世界に入り浸る事を制限されなかったのは救いだったと思います。 

 

前回の記事は
ゲームとの馴れ初め的な話でした… 

今回、小学校中盤くらい。病気の話とちょっとずつ芽生える自意識、そしてゲームの話です。
話がとっちらかって読みにくいかもしれません。

小学校の間はひたすら遊んでいたような記憶しかありません。
勉強で苦労したという意識が全く無い(申し訳ない)
当時の宿題の日記も毎日ほぼ同じ文面…
同じすぎて書くことがなかったのです。

3年生のとき、後述のとある理由で1週間ほど検査入院して、
その間もちろん全く授業受けなかったんですけど
退院してすぐ直後のテストで90点くらい取れたりして周りにびっくりされたり。

Unknown
そのころハマった、バーコードバトラー。
バーコードを見るだけである程度強いかどうか分かるようになってました
(法則があったので。もう忘れた)

相変わらず体は丈夫ではなく、体育は得意ではありませんでした。
甘いものが好きで虫歯が多かったとか、ゲームが好きであまり外に出なかった
というのも理由かもしれませんが、小学校入学と時を同じく、とある疾患が判明。

慢性腎炎というやつです。
健康診断で尿検査があるのですが、それにタンパク尿で引っかかって。

ただ、将棋の村山聖さんのようなネフローゼみたいな重篤なやつではなく、
軽いやつだったみたいです。
のちに病名が診断されて IgA腎症という名前が付きました。
確実な治療法はなく、なんとなく処方された薬を飲む日々でした。

とにかく、当時の診断によると正常な人よりも何割か腎機能が弱いみたいです。
症状としては、疲れやすい、疲れが取れにくい、むくみ、、などなど。
疲れやすいかどうかなんて他の人と比較できるものではないので、
いまいち実感がわきませんでしたが、
体調のバランスを崩すとどどっと崩れるという印象がありました。

このことはその後の学生生活、進学、就職にも
大きく影響が出てくることになります。
ちょっと無茶すると、最低2日くらい体調悪くしてたので
若い頃は無茶しても元気じゃった、という話は決してできません。

IMG_0231
手元に当時の写真が無いので木版画でも貼っときます。
入賞して美術館に飾られました。

今現在、自分の状態がどうなのかわかりません。
小学校の頃は毎週通院して検査してましたが、
成人するころに経過観察を言い渡されて、あとからはもう任意というか自由…
が、会社の尿検査とかではやっぱり引っかかり続けました。
確固たる治療法が無いのでどうしようもないので放置してます。
見る方が見たら怒られそうですが、
当時の診断では自然に快癒するか、重くなるかどちらかだそうで。

自分の感覚としては、子供の頃よりは健康を感じています。
が、バランスを崩した時の脆さも実感しています。

検査のため、毎週、授業を早退して病院に行ってました。
体育は激しい運動が含まれる時は見学。

そんな感じで、周りのみんなと同じ授業が受けられない。
「がんばってねー」みたいな感じで早退する時は送り出される。
非常にもどかしかった。

「疲れやすい」という一点を覗いては全く普通なのに。
さも重病のように扱われる自分。
なんとなく、このころから、「自分と周りとの距離感」を感じ始めていました。

疾患のせいで必要以上に大事なものを扱うように接してくる同級生。
成績がやたら良かったせいで「ガリ勉だ」「あいつは俺達とは違う」という空気。
(実際学校の勉強以上のことはほとんどせず毎日ゲーム3時間超とかしてたので、
なにいってんだこいつら、と思ってましたが)

大切に扱ってくれるのも純粋な「優しさ」だったのかもしれませんが、
もっと、みんなと同じように馬鹿なことを言い合ったりして笑っていたかったなぁ、と。
「体弱い、真面目」というカテゴリに入れられてしまってもともとのシャイな性格もプラスして
なんとなく、孤独感を感じて始めていました。
「普通がいい」とはなんとなく思うものの、一体普通ってなんなのか…みたいな。

時々、自分や周囲によって作られたバリアを意図してかせずか
突破してやってくる人、
またはなぜか自分がそれを意識しなくても良い人がいるのですが、
そういう人とはたいてい仲良くなれました。

自分なりに、本当の優しさ、友達ってなんなんだろう、
ということをいつも考えてました。
当人の気持ちを汲まず、自分の善意を押し付けるのは優しさではないよね。
とこういう言葉ではないにしろなんとなく感じていました。

毎日一緒に遊んでワイワイしてても、
本当の所はなかなか理解し合えないんだなと
いうことを考えてたような気がします。

ここでパリピへの道は閉ざされたわけです。

誰かには簡単にできることが自分にはとても難しい。(その逆も然り)
この考え方の傾向は今にもひきづってるとおもいますが…

さて、病気の話はさておき、基本的にはインドアまっしぐらなので、
上述のバーコードバトラーのデータ分析とか
ドラクエ3のレベル上げとかに精を出していました。
…あまり沢山のゲームを買ってもらえないので少数のゲームをやり込む方向に進んだわけです。

音楽的な要素は…
ゲーム音楽、というのを意識し始めたのもこの頃です。
ドラクエ4で出てくる、武器商人トルネコという主役キャラの一人のテーマ曲を、
学校で習い始めたリコーダーで耳コピして吹いてました。(が、#が出てくるところまでで断念(笑))
もう一つの大作RPGのファイナルファンタジーの最初の作品(当時は3が出た辺りですが)
の最後のダンジョンのBGMが好きでゲームを止めて延々と流しながらうたた寝したり。
酒のんでゲームして寝落ちしている父の横で流れ続けるウィザードリィのタイトルBGM。
2人の姉と三人で「ボルタック商店」の曲を覚えて歌ってました。
ひたすら強いキャラを作るために「くんれんじょう」に行ってキャラ作成を繰り返すのですが、
そこのBGMも覚えてしまいました。
当時ウィザードリィは自分には難しすぎてほとんど遊べなかったですが、
音楽はとても印象に残ってます。


カオス神殿。。。いいですね。

楽器や音楽は好きだったんですが、自分で演奏する、というところまでは行きません。
歌うのはあまり好きではなかったのです
姉のエレクトーン練習を聴いて、和音を掴むのが割と意識せずできたので、
桃太郎電鉄か何かで出てくる歌(のハモリパート)を口ずさんでいたら、
姉に下手くそーと笑われたのがショックで、それ以来歌うのはやめとこう…となりました。

ギターを始めてからも、歌いたい気持ちは出てきたものの、自信がもてず
あまり積極的に歌うということはしなかったと思います。
部屋でこっそり他の人に聴こえないように歌ってました。

触っていた楽器はリコーダーと、時々忍び込んで弾いたエレクトーンくらいです。
(教則本にドラクエの曲が!と発見してしまったのでなぞってました)

年代的には1989〜1991,2が小学校中学年あたりですが、
ゲームにハマりすぎて当時のヒット曲は何聴いたのか何があったのか覚えてません。
夕方のZガンダム、ZZガンダムのアニメ再放送くらいしか覚えてません。
森口博子ってタレントじゃなくて本当は歌手だったんですね!っていう。

FC時代よく遊んだゲームの音楽なら効果音付きで頭の中で再生できます。

次回は、それまで溜め込んだものが決壊し始める瞬間、
音楽やギターとの出会いについて
になると思います。

誰得ではありますが、自分の頭の中を意識して覗いてみよう、
今の自分に繋がるものはどの辺から来ているのだろう、という考察です。

前回の記事では両親のことに触れました。

IMG_0223
これ、4〜5歳くらいかな。

この頃は毎日姉や近所の兄ちゃん達と遊んでおりました。
力も弱く、メンタルも弱く、すぐに泣いてばかりいました。

時々幼稚園の友達とも遊んでいたのかな、
家の近くには同級生も住んでおらず、
あまり一人では遠くに出歩けなかったのでほとんど記憶がありません。

その、何気なくよく遊んでいた隣の兄ちゃんが後に不良のリーダー的存在になってて、
僕はそれで何度か助けられた記憶があります。
そのため、あまり表面的な属性や肩書だけで人を判断しなくなったのだと思います。
あのケンカが強くて怖い人に囲まれて悪そうにしている、
兄ちゃんは僕と遊ぶ時は優しくて強い…みたいな。

そういう所があるので、何か、前提条件を勝手に決めつけたところから
盛り上がる会話に上手く参加できなくなる、というデメリットももたらしましたが。
お前はどっちの味方だ、いやどっちでもない。みたいに。

さて音楽について。

まだまだ自分で意識的に音楽を聴く、ということはしていませんでした。
音楽といえば、戦隊モノとかアニメの主題歌、ドリフとか…?
夜のヒットスタジオ的なものは家で流れていたかもしれません。
あとはっきり覚えているのが
近藤真彦の「愚か者」という曲が好きでした。

改めてちゃんと聞きましたが、硬派だなぁ…
幼稚園児には理解出来ない歌詞だなぁ。
でも、なんかこの雰囲気がかっこよかったんですよね。

あとは、もっぱら、ゲームとかなんとか…
幼稚園に上がった頃から家に入り込んできたのが、
ファミコン…の前に発売されていたMSXというパソコンのキーボードみたいなものに
カートリッジを差し込むスロットが付いたゲーム機で遊んでいました。
Unknown
MSX

ソフトはあったような気もするし、なかったような気もする。
いわゆるコントローラがなかったので、
キーボードの十字キーとかを適当に叩いて満足してました。

で、その後突如父が入手してきたのはファミリーコンピューター。
ソフトが何個かあって、「スーパーマリオブラザーズ」もその中にありましたが、
ほぼ毎日遊んでいました。
高橋名人の冒険島とかね。

基本、ゲームって一度ではクリアできないので
何度も何度も遊んで攻略法を自分で見つけていくんですよね。
今みたいに攻略サイトも無いし。

例えば兄弟と遊んでいて、自分がうまく出来なかったら順番を飛ばされたり、
道具を取り上げられたりして自由に遊べなかったのですが
ゲームの中の世界は違う。自分の気の済むまでトライ&エラーが繰り返せる。

、というわけでハマってしまいました。

幼稚園に行く前に7:30くらいに準備が終わるのですが、家を出るのが8:00過ぎ
その3-40分ほぼ日課のように遊んでいた気がします。
家から帰ってからは、遊ぶ日もあるし、外で遊ぶ日もあったりとまちまちです。
ドラクエとかウルティマとかあった気がしますが、その頃はルールがわからず
適当にキャラを動かして、何度か敵と戦って終わり。次はまた最初から…
みたいなことをしてました。

ゲームは一日1時間なんてルールは知りませんでしたね。
ゲーム以外にも「自分の頭の中の世界で誰にも邪魔されずに色々試行錯誤する」
というのがとても楽しかったんだと思います。

ゲームも繰り返しやってると、ある程度法則、動きの癖、
敵キャラの行動パターンなどが分かってくるんですが、
算数にもそれを応用?して色々問題を解いていたような気がします。

迷路とか、小学校の算数ドリルとかをどんどん解いていた、らしい。
あとは図鑑をひたすら眺めていました。
子供カラー図鑑、ってやつですね。
セールスマンに売りつけられたらしいけど、
僕にとってはいい暇つぶしの道具でした。
それを見るうちに色々細かな言葉も吸収できたのかなと思います。

「ひたすら自分の頭の中で試行錯誤をする」というのは
その後楽器を始めた時、研究&開発系の仕事をする時に活きてくることになります。

体はあまり丈夫ではなく、年に1,2回は風邪か何かで1週間ほど寝込む、
みたいなことを小学校高学年くらいまでは繰り返してました。

病弱の直接的な理由ではないとは思いますが、
これの原因と思われる、とある疾患も僕の人格形成に
大きな影響を与えていると思います。

それについてはまた次回。

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