ギタリスト/尺八奏者 オガタマモルのブログ

広島を拠点に活動するギタリスト/尺八奏者のブログです。
ウェブサイト http://marumogata.weebly.com

広島は雨も一旦落ち着いたので続きを書きます。
週末また降りそうですけどね…

過去を振り返ることで今の自分のルーツを再確認する、
というコーナーです。
自分語りをつらつらとしているので、
ためになることが書いてあるわけではありません。

前回 はミニ四駆と地域格差について 

いちおう時系列に書きますが、
話の途中であれこれ時間軸がずれるかもしれません。 

さて、ぼちぼちギターが出てくると思います。

小学校の間は特に音楽に対する意識をほとんどせず
リコーダーでドラクエの曲をコピーして遊んだり
エレクトーンでドラクエの曲の楽譜を見つけて弾いてみたり
したくらいです。ちゃんと弾いたかどうかは記憶にありません。

自分もこれをやってみたい!という強い思いがあったわけではありません。
手近にあるおもちゃで遊んでいただけという。

特に憧れの演奏家!みたいなものもないですし。

ただ、楽器を弾くのは楽しかったですよね。
人に見せるとか将来どうなるとかお金をもらうとか関係なく、
自分の思ったように音を作って色々遊ぶことができる。

ゲームと同じ、今この瞬間に夢中になれる、没頭できる、それが楽しかった。
周りの人にどう思われるとか関係ない、自分だけの世界ですね。
今でも、演奏中に周りの事を気にしすぎるとうまくいきません。
時々夢中に、無になれる瞬間があるのですが、いつもあるとは限らないので…

この頃から学校サボりぐせがちらほら出ていたので、
暇すぎてエレクトーンを弾いてみたり。

サボりが一番ひどかったのは中学校1年生の冬。
風邪をこじらせて高熱1週間程度、休んで、、治ったのですが
何となく学校に行きたくない。
というわけでずるずる1ヶ月くらい休みました。ある意味登校拒否ですね。

誰かにイジメられていたわけでもないですし、成績もまだ落ちてなかった。
中のいい友達も少ないながらいたので
明確な理由はその時もわからなかったのですが、
周囲と自分の意識のズレとか過剰な自意識とか色々なものが影響していました。たぶん。
休みまくって気が済んだら、あとは勇気を出して学校にいくだけ。
休んでいる間は教育テレビ見たり、録画したジブリのアニメを何度も見たりしてました。

今なら軽いうつだとか何だとか診断が下りそうですね。しらんけど。

このへんで、JPOPはミリオンヒットとか続出してきて、音楽番組も増えたり変わったり
姉も色々聴き始めてたのでその影響を受けて自分もちょっと音楽に興味が出てきます。

上の姉はドリカム。下の姉はXとか好きで
エレクトーンの練習とともに部屋から漏れ聞こえる音楽を聴いてました。
(ドリカムはひたすら流れてたので曲名は知らないけど曲は結構知ってます笑)
(Xはギターを始めた関係で自分も聴くように弾くようになり、結構詳しくなりました笑)

僕は、あまり説教臭いというか、無理やり明るい、元気をあげようとしてくれてる
歌詞の音楽が好きになれなかったので音楽番組も聞き流していました。
今の言葉で(今の言葉なのか?) 陽キャの音楽ですね。間違いなく僕は陰でしたから。

で、僕はなぜか姉が聴かなくなったからあげる(売って?)
というカセットテープとシングルCDをもらいました。

それが当時すでに解散していたユニコーンでした。
「大迷惑」のシングルと「VERY BEST OF UNICORN」と「ヒゲとボイン」のカセット。
カセットの方は長さの都合で「人生は上々だ」がA面途中で終わっているという。
他にスピッツやXのカセットとかも確かありましたがその当時はあまり聴いてません。
今は大好きですが。

ロックバンドがサラリーマンの歌を歌ってる。。
甘いラブソング(甘くないラブ?ソングはあった)とか頑張れソングを全く歌わず、
世の中を茶化したり面白く歌っているのが楽しくて
毎日そのCDとカセットを繰り返し聴いてました。

学校にいって授業が退屈でも音楽が脳内再生できるくらい。

シングルCD1枚、カセット1,2本、
あとはCD-ROMで発売された天外魔境Ⅱというゲームのサウンドトラック
(後でしったけど音楽は久石譲さんでした)
始めて自分のお金で買ったファイナルファンタジー4のアレンジ版アルバム
-ゲームの音楽をアイルランドのミュージシャンを使ってアレンジ。ケルトな感じが好きでした。
(ゲームのCDをCDプレイヤーにかけると音楽だけが流れてサントラになった!)
これを日替わりで寝る時に聴きながら寝ていました。
宿題するときもかけっぱなし。
まだギターは初めてないかな。

というわけで、
いちおうロックバンドの括りだけどジャンルが良くわからないバンドと、
インスト音楽 - ゲーム音楽、民族音楽の流れ(アイルランド→日本へと向かいますが)
という自分の志向、要素はこの中1の時点ですでに確立されていたのでした。

続く。
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当時のカセットテープも車も電話も無いけれど。
FF4の方の植松伸夫氏のインタビューをずっと読んでました。

音楽の話を書くとそればっかりになるので
もうちょっと当時のエピソードを絡めたいと思います。。

割と個人的なエピソードばかり書いてたので箸休めです。

スーパーマリオブラザーズは1986年、34年前のゲームなんですけど、
息子が今遊んでも夢中になります。すごいですよね。
もちろん8bitで画がカクカクだったりってのはあるんですけど、
ゲームの面白さは変わらない。
その面白さの秘密ってなんだろうね。って。

その時代ごとの技術で色々外面は変わっても
根本的なゲームの面白さってのは色褪せないんですよね。

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この本を読んだり
任天堂の開発エピソードを色々読んでみたりして
改めて考えてます。

マリオの開発話とかワクワクしますね。

本はこの任天堂サイトのコーナーの抜粋だったので、
ちょっとずつ書籍化されてないところも読み漁ってみようと思います。
 

前回

過去を振り返ることで今の自分を見直すシリーズです。

前回、小学校中高年あたりなので、次は中学生…時系列で行こうと思ってましたが、 
混沌としており、前回も時系列入り乱れて細かいエピソードを書きようがなくなってきたので
思うように書きます。

地元愛について。
そんなに郷土愛とか地元LOVEという意識はありません。
青春時代、自分を抑圧していた場所というイメージも伴うためでしょうか。

それでもいま現在、地元で音楽を少しでも盛り上げるために微力ながら
何かできないかな、と思って定期的にオープンマイクな参加型のイベントをやっています。
Acoustic Night 呉っていうやつです。

地元愛がないのになぜそんなことをするのか?という事に今回の話はつながってくると思います。

さて、僕は呉市の出身なわけですが呉市といっても呉市中心部とそれ以外では全然違います。
いわゆる「呉市内」とそれ以外。

よその人に言う時には細かい地名いっても伝わらないので呉出身といいますが、
山一つ超えたところの町出身です。
「仁義」の人たちが一番いたと言われている辺りですかね。
小さい頃にそんな雰囲気を感じたことはないのでよく知りません。

お小遣いも、呉市内に行って帰ってきたらなくなるくらいだったので、
あまりどこかのお店に繰り出して遊ぶみたいなことは殆どしませんでした。
まぁ、そんなことよりもミニ四駆買ったりお金貯めて
ゲームやマンガを買ったりという方が優先でしたので。

ゲームやマンガの単行本集め(ドラゴンボールの背表紙を揃えたかった)
にもハマっていましたが、ミニ四駆ブームというのがあって、多分にもれずハマっていました。

Unknown
アバンテjr。かっこいい。

 ミニ四駆は何度かブームが起こるのですが、僕たちは第一次のころかな。
ダッシュ四駆郎とか。
ラジコンも憧れがあって毎週テレビでラジコンカーのレース番組やって、
RCカーほしい、と思ってたんですが、
予算と走らせる場所の無さに断念。
 
ミニ四駆は、電池駆動で走る車のプラモデルを色々改造したりして速さを競います。 
片田舎の町で、今はすっかり道路になってしまって跡形もない商店街にあった小さなおもちゃ屋で
パーツを買い集めて色々改造するのが楽しみでした。
軽量化!軽い方が速いっていって、シャーシに穴を開けすぎて本体を破壊したこともあります。

ある年のクリスマスプレゼントにミニ四駆のコースをもらいました。
が、予算の都合かタミヤ純正のコースではなかったので
すぐコースアウトするとか色々不具合もあったりして。
それでもより速いクルマを作るために日々試行錯誤でした。

で、ある日ミニ四駆マンガが乗っているブームの仕掛け人コロコロコミックを
よんでいると、「全国大会」「地区予選は広島で」

…参加してみたい❗

と思いました、が
広島市までの交通費、拘束時間(親について来てもらうわけにはいかなかった)
その後もし勝ち上がったとして(まぁ勝てなかったと思いますがw)
交通宿泊などなどはどうするの?みたいな話になって諦めた気がします。

うちに金がなかっただけとも言えるのですが、
地域格差、というものを肌で感じた瞬間でもありました。
街の子どもたちは自転車とかで気軽に大会に参加できるのに…みたいな。

もちろんインターネットもない時代です。

他、ゲームがいくら上手くても、学校の成績がいくら良くてもこの町の中という
枠組みから出られないのか、という頭打ち感は感じていました。

今思えば子供なりに色々手段は取れたと思うんですけどね。
天井の高さを知ってしまった蛙は天井がなくてもそれ以上の高さには飛べない、
という実験を彷彿とさせます。
(なんかの本で読んだけどみつかりません。なんだっけこれ)

いろんな理由で「これ以上は自分が頑張ったとしても無理だ」
という気持ちになっていたと思います。

たぶん、すごい才能や能力を秘めている人は至るところにいて
一緒に音楽やってても凹まさせれるような人がひょい、と出てきて、全然プロではない
音楽と関係ない仕事をやっていたりする。

別に能力があるからといって、それを仕事にする義務はないのですが
もっと挑戦したい、知りたい、という意欲があるのに地理的経済的理由で
挑戦すらできない、という人が多数いるということ。

ネットがある現在、ネット以前の僕の子供時代よりは可能性は開かれていますが
それでも情報の格差、そして「意識の格差」
(最近はググって得られる情報の精度もさがりましたけど)

いまだに「上京しないと」「○○の本場で勉強しないと」という現地志向を耳にします。
まぁ人が集まるところには才能もあつまるし、仕事のスピード感も違うでしょう。
それは否めない事実なんですが、

でも、今の時代の流れで、そうでない可能性を見てみたい、見れるはずだと思っていて
・マイナーな田舎町にすごいミニ四駆仙人がいる、とか
・アメリカでよくあるブルースの街(近所のおっちゃんがめちゃくちゃすごいブルースマン)
  観光資源ではなくブルースを演奏する人たちという音楽そのものが人を集める

とかとか…

普段はさえない近所のあの人が実はある分野ではすごい世界レベルの人だった
みたいな事を目の当たりにした子供の意識的な限界はかなり高くなると思うんです。

欧米にいって学んでこなくては、、、みたいな明治時代の頃と意識が変わらなければ。

イチローが野球教室に来て教えてくれた、とか1回限りそういうのだけでも
自分の限界値が変わるのを実感できるので、
いつもそういう人が近くにいるとなるとその効果は計り知れません。
※例えです(僕は野球できません)

そういう意味では「芸能一家」みたいなのは、才能や遺伝の要素より、環境の方が強いのかなと思います。

…僕は親戚がマラソンオリンピック選手でしたが僕は長距離走全然得意になりませんでしたけどね。
(体質、やる気の問題)

でも、努力のやり方次第では世界に挑戦できるようになるんだ、
という意識の上ではとても影響受けてます。

まぁそんなわけで、地元愛、郷土愛というより、
そのへんのおっちゃんが最強ブルースマン(うようよいる)状態を作ってみたい。
ですね。

自分もまだまだ色々詰めが甘いですが、隠れ最強キャラになれるよう頑張ります。

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